Vol.6 教室探し
社長との約束の11月の開校を目指して、夏ごろから教室をやる場所を探しました。 と言っても、全く見当もつきません。 私の親、兄弟、知人には、商売をやっている人は、ひとりもいなかったのです。
テナントは、保証金だけでも莫大なお金がかかることを、そのとき初めて知りました。 生徒さんが本当に出来るかさえも、全く分からない中で、月々何万円もの家賃を支払っていくことは、とても無理だと思いました。
それで初めから、時間貸しするレンタルルームを探しました。 苦労して探し当てたのは、希望通り君津駅のすぐ近く、当時のイトーヨーカドーに隣接するビルの2階でした。駅に近く、広さも十分でその上、格安でした。難を言えば、貸主の荷物が多く、教室を行うために、かなり時間を割いて片づけをしなければならないことでした。
ところが、私は、1ヶ月もしないうちにそこを出ようと決意しなければなりませんでした。きちんとした書類の取り交わしもないまま借りた為、貸主が、すぐにびっくりするような値段に上げると言いだし、最初の口約束とは違うことをいろいろ脅しまがいに言ってくるのです。
出るとは、固く決めたものの、移転先の当てもなく、コネもなく、お金もなく、翌月までに移転しなければならない為時間もなく、本当に八方塞りでした。 幸先が悪すぎて、ひどく落ち込みました。
それでも、訪ねた不動産屋さんの中に親切な年配の方がいて、(他では、相手にされなかった。)いくつか物件を紹介してくれました。彼は、私の話や様子から、これは張ったりでなく本当にお金がないし、素人なんだと分かったのでしょう。 物件は、どれもべらぼうに安い代わりに、廃墟同然のテナントでした…
結局私が選んだのは、今は跡形もありませんが、八重原のショッピングセンターの一角でした。駐車場があることスーパーや公園に隣接していること自宅に近いことなどが理由でした。
今考えると、その時の生徒さんは、本当によく通って来てくださったなと思います。 ショッピングセンターのほとんどのテナントは、閉まっており、シャッターは閉め切ったままで、錆だらけ。教室も狭く、暗く、小さな窓が上の方にひとつだけでした。トイレも教室内には無く、共同トイレでした。そのトイレが公衆便所のように、汚く、臭く、しかもしょっちゅう詰まって・・・
当時は、今のように教材もありませんでしたし、私自身手探りでレッスンをしており、プログラムも未熟なものでした。 私には、生徒さんを引き止めておくものは無いに等しかったのです。でも、もしたった一つだけ私に誇れるものがあるとしたら、それは、情熱でした。 一生懸命さでした。 当時の私は、講師として経営者として今の100分の1も実力が無かったと思います。けれどもその分、必死で努力をしていました。それが当時、教室を潰さずにすんだ大きな、そして唯一の力だったのだと思います。
このテナントは、結局3年半程で出ることになります。その後に八重原の「青い鳥」というケーキ屋さんのあるマンションの3階に移り、そこに4年程いた後、今の教室へ移ります。
やはり、ここへ居た3年半が私にとって教室をやっていて最も苦しかった時期でした。 暗くて汚くて錆付いた教室での苦労は、今、何かあった時、私はあそこから出発したのだから、失うものは何も無い、という気にしてくれます。
≪つづく≫