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vol.4~教室開校の決心~  

教室を本当に自分がやろうと、真剣に考えていた訳ではありませんでした。まだ、娘は3才で小さいし、一応、将来の選択肢の一つとして聞いてみよう位の気持ちでチャイルドヘ問い合わせの電話をしてみたのでした。

すると驚いたことに、すぐに社長が、会いに来てくださるというのです。会ってお話しすると、社長から胸に響く言葉を言われました。私が、資金もないし、子供もまだ小さいし、いつかは教室をやりたいと思っているけど、それはいつになるかわからないと申し上げたことに対して、社長は、こう言われたのです。

「『いつかは…』っていつですか?多くの人は、そうやって『いつかは、いつかは』って言い訳しながら、永久にそう言い続けているのです。本気でやる気があるのならすぐにされたらどうですか?」社長のおっしゃっることは、本当だって、思いました。このときから、私は、真剣に教室を開く決心をしたのでした。

とはいえ、契約金や開校準備の資金もありません。


七田君津
この年、家を新築したばかりでした。私は、このとき自分の仕事を始める上で、2つのルールを決めました。ひとつは、自分の仕事のために、家のお金を持ち出さない、もうひとつは、仕事のために借金をしないということです。社長に頼んで開校を1年間待ってもらいました。その間に、娘を保育園に預けるために、申し訳程度に働いていた歯科衛生士の仕事を増やし、また以前アルバイトでやっていた塾での講師の仕事も復婦して、お金をためて資金を作ろうとしたのです。

歯科衛生士を目指して、短大を受験したときも、教室開校の資金稼ぎのために衛生士として復婦し、仕事を増やしていったときも会社や医院をいずれは辞めていくことが前提です。短大受験のときは、入社時と重なり、人員の過不足の人事への申請のため、上司から、結婚している私は妊娠で退職の予定があるか何回も確認されました。まさか、私が学校へ行こうと企んでいるとは、予想だにしていなかったでしょう。


合格している自信があれば、きっぱりと退職を申し出ます。しかし、自信は、全くありません。でも、急に辞めれば皆に迷惑がかかります。曖昧な私の返事に、何度も確認されているうちに、もういいやって言う気持ちになりました。全てを上司に打ち明け、たとえ合格しなくても会社を辞めるので、私の代わりの人を確保してくださいと申し上げました。

すると、上司は、「何も心配しなくていい。受験に落ちたら、辞める必要なんかない。あなたのような人には、ぜひ、会社にいて欲しい。合格したら、会社のことは、心配しなくて良いから、堂々と学校へ行きなさい。」心を込めて、そう言って下さったのです。医院に復帰したときもそうでした。院長は、私の都合で、私の好きなだけ仕事を増やしていくのを許して<ださいました。私に期待してくださっているのもわかりました。

仕事は勿論、一生懸命やっていたけれど、いずれ教室を開校するための資金稼ぎです。私は、次第に心苦しくなり、院長に全てをお話しました。すると、院長は、『あなたの人生です。どんな風に生きても自由ですよ。私に遠慮することは、何もない。いれる時までいてください。」こう言ってくださったのです。
七田君津

教室を開校しようと決めてから、今日まで私の人生は、大袈裟に言えば、それまでより波乱に満ちたものになったと思います。苦しい事もたくさんありましたが、それ以上に、人の暖かさを知り、勇気を貰い、生きていく喜びを感じました。私を応援して<ださった皆さんに、良い教育をしてい<ことが、何よりものご恩返しだと思っています。

<つづく>


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